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第20回

箱ミシンって、何だ?

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潜水道具としてのウェットスーツ

箱ミシンの話をする前に、ウェットスーツというギアがどういうふうに考案されたかについて、それが事実かどうかわからないけど、おれの知っている範囲で話してみたい。過去に潜水用具としていろいろなギアが開発される中で、洋服でも良かったんだけど、水がしみ込む洋服を着ても保温力がないので、最終的に水を吸わないゴム板が開発され、ゴム被服の潜水用具を最初に作るわけなんだ。

 

 戦前は、タイヤのチューブのようにゴムと布を張り合わせたもので作っていた。薄くちぎれないゴム板を布と張り合わせて、それを洋服にして縫い合わせて潜水のときに使っていた。いちばん最初は軍事目的だったのだろうね。

 

 戦後になって、アメリカやドイツがネオプレンゴムの開発をはじめた。ゴムだけだと保温力がないので、ゴムの中に気泡を混ぜることによって保温力を持たせるというアイデアでネオプレンゴム、発泡したスポンジゴム板が開発されたんだ。毛糸のセーターなどは空気を含んでいるから、着たときは暖かいが水を吸ってしまう。イギリスのピーターストームなどのオイルスキンのセーターは油を含んでいるから、普通のセーターと違い水がしみ込みにくいので、水夫たちが着ていた。

 

 それと同じようにゴム板だけでは保温力がないので、ゴムの中に気泡を入れた、保温力のあるネオプレンゴムを開発したわけだ。それはなぜかというのは、冷たい水の中に入るためのものであって、要するに潜水用具として開発されたのがウェットスーツなんだ。ウェットスーツを開発した当初はネオプレンのゴム板を、縫製をせずにパーツをただ張り合わせてひとつの洋服のようなものを作ってウェットスーツに仕上げたんだと思う。

 1950〜60年代にかけて、カリフォルニアでサーフィンが流行りはじめたとき、水が冷たいカリフォルニアでは、ハワイのように裸でサーフィンができないので、「何か着るものはないだろうか?」というニーズがあり、カリフォルニアの若いサーファーたちは漁師やダイバーが使っていたウェットスーツを着たみたら、「これは暖かいぞ!」ということになったんだと思う。

 

 おれが知っている範囲であっても、1960年代から1970年のはじめぐらいまでは、みんなダイビング用のウェットスーツを着ていたよね。ダイビング用ウェットスーツを流用していたけど、1970年代に入って、ジャック・オニールがサーフィンをしている息子ふたりのためにサーフィンに適したウェットスーツを作って着せてあげたことをきっかけに、「それじゃ、サーフィンブランドを立ち上げよう」ということになったんだね。あのマークがそれだ。

 ダイビング用ウェットスーツとサーフィン用ウェットスーツの違いというのは、ダイビング用ウェットスーツは極力体に密着させて、水がウェットスーツの中に入らないようにというのが使いかたなんだ。ダイビングは水の中に入るのが目的、でもサーフィンは水に濡れても中に入らなのがいいんだよ。ひっくり返ったり落ちたりして、水の中に入っているように見えても、じつは水の上にいる。一般的にドルフィンという技術が普及したのはサーフィンが世界に広まった1970〜80年代初頭、ショートボードが出現してからで、それまでは板の上に乗って、必死になって波をかわすやり方だった。

 

 だから、水の中に入るためのサーフィン用ウェットスーツという考え方はないんだ。我々も最初の頃に着たウェットスーツはダイビング用のウェットスーツなんだけど、あれほど動きづらいウェットスーツはなかった。それで1972年に、おれは、あのジャック・オニールが息子たちのために少しでも動きやすくというので作ったオニール・ウェットスーツを日本に輸入して使ってみて、「こりゃ、なかなかすごい!」と感動した覚えがある。

 

 オニールがサーフィン用のウェットスーツを開発した当初は、ジャケットとパンツというツーピースだったと思うけど、おれが輸入したときはすでにワンピースだったね。サーフィン用のワンピースというのは、極力水が入ってこないように、また着たり脱いだりしやすいようにバックジッパーなんだ。

 

 それまでのワンピースというのは、ダイビング用ということもあるんだけど、ほとんどがフロンジッパーだった。ジェームス・ボンドが着ていたやつだ。いろいろ研究してみたけど、着脱のためのジッパーは、じつは現在でもいちばん問題なんだ。まあ、当初はバックジッパーのフルスーツをオニールが作ったんで、それで爆発的にオニールタイプのバックジッパーのウェットスーツが流行りはじめるんだよね。

 

 オニールが最初からバックジッパーのウェットスーツを作っていたかどうかわからないけど、おれが1971年に初めてオニールのカタログを取り寄せたときにはすでにバックジッパーのウェットスーツがあったんだ。たぶん、フロンジッパーのウェットスーツではファスナーがボードにあたって都合が悪かったはずだから、すぐにバックジッパーのアイデアが浮かんだんだろう。

 

 いまでもフロンジッパーのビーバーテイルのジャケットを欲しがるお客さんがいるけど、あれははっきり言って邪道で、板を壊すよね。ファスナーがごつごつ体や板に当たり、自分でも痛いだろうし。当時のファスナーは鉄製だったし、余計痛いしボードを壊しちゃう。

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(写真左)1715年、ピエール・レミー・ド・ブーヴによりデザインされたもの。この潜水服の鉄製コルセットは、水圧からダイバーの胸を保護し、防水のために全身を革で覆う形になっている。海面に向かう2つの管はヘルメットに繋がっていて、空気を送り込めるようになっている。このスーツの靴は重り付きで、潜水士の海中探索を助けるようになっている。写真出典:https://karapaia.com/archives/52127446.html

(写真右)カリフォルニア大学バークレー校のヒュー・ブラッドナーが最初の発明者であると考えられている。写真出典:https://www.pinterest.de/pin/1066086543061102503/

(注釈)ジャック・オニール:カリフォルニア州サンタクルーズ出身の地味で経験豊富なサーフィンの実業家であり、サーフィン用ウェットスーツの世界的なトップメーカーであるオニール・ウェットスーツの創業者。オニールは1923年にコロラド州デンバーで生まれ、南カリフォルニアとオレゴンで育ちました。1930年代後半からボディサーフィンをはじめ、1949年にサンフランシスコに移住した後も続けていましたが、ポートランド州立大学でリベラルアーツの学士号を取得しました。

 オニールは1952年にサンフランシスコのビーチフロントのガレージでサーフショップをオープンし、その数ヶ月後、DC-3旅客機の発泡ネオプレンの床材に触発されて、最初のネオプレンのウェットスーツベストを作ったとのちに語っています(最初のウェットスーツの試作品は1951年にカリフォルニア大学バークレー校の物理学者によって作られました。南カリフォルニアのDive N' Surf社は、オニールと同様に1952年にウェットスーツの製造を開始しました) 。オニールは1959年、アメリカで最初のサーフブームが起こる直前の1959年にサンタクルーズに2軒目のサーフショップをオープンした。当初はサーフボードが主な販売品目だったが、60年代初頭にはウエットスーツがショップの決定打となり、10年の終わりにはオニールは業界のリーダーとなった。

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ミシンorボンド?

初期の頃のウェットスーツは、ネオプレンゴムを糊で張り合わせただけだったので、縫うという工程はなかった。いまでもネオプレンゴムを糊で張り合わせただけのウェットスーツもあって、実に使いやすくて都合がいいのだけど、引っ張ったりするとすぐに壊れる。ということで、ウェットスーツがすぐに壊れてしまうのは困るので、ネオプレンゴムの片面にジャージを貼ってみたらどうだろうということになった。

 

 ウェットスーツを改良することによって縫う必要がでてきたのだ。なぜなら、ジャージはいくら糊をつけても貼り合わせることができないからだ。最近では、すごく優秀な接着剤が開発されているので、コンマ1ミリ以下の薄いジャージとジャージの切断面を張り合わせることができる糊も出てきてはいるが、そういう糊は強いけど硬い。硬い糊でジャージ同士を貼り合わせることはできない。なぜなら、ジャージとジャージの貼り目が、引っ張ったときに壊れてしまう。ほかのところは壊れなくなったけど、貼り目が壊れるので、縫い合わせているわけだ。

 時代が前後してしまったけど、ダイビング用ウェットスーツの時代からネオプレンゴムの片面にジャージを貼り、縫製しはじめたというわけだ。縫い合わせるという方法は防水という観点で考えると難しい問題で、初期の頃はジグザグミシンでチドリ縫いをしていたので、ミシン針の穴がネオプレンゴムの裏に抜けていた。そのため、縫い目から水が入ってくるという問題が出てきた。そこで、おれが知っている限りでは日本の会社で、奈良ミシンというミシンメーカーがじゅうたんを縫うためのロックミシンに近い機能を持つミシンを製造していたのだけど、そのミシンを改良してウェットスーツ用のすくい縫いミシンにしたんだね。

 

 じゅうたんはもともと手縫いで縁かがりをしていて、じゅうたん用のミシンもまた縁かがりで使っていたけど、それはすくい縫い用のミシンではなかった。じゅうたんは厚みがあるので、オーバーロック用のミシンでは縁かがりはできないので、じゅうたんも縫えるミシンが開発されたのだろうね。厚みのある生地が縫えるじゅうたん用のミシンを、ウェットスーツの縫製に裏に針が通らないすくい縫いミシンに改良したわけだ。

 日本では、ビクトリーが最初にすくい縫いミシンを導入してサーフィン用のウェットスーツを縫製しはじめたけど、おれがオニールのウェットスーツを本格的に輸入しはじめた1972年当時、オニールのウェットスーツもまたすくい縫いミシンで縫製されていた。その当時、アメリカですくい縫いミシンが開発されていたのかは定かではないけど、いまだに日本製ミシンが多く使われているところから推測すると、オニールをはじめアメリカのウェットスーツメーカーは当初から日本製ミシンを輸入して使っていたのではないだろうか。

 ウェットスーツメーカーにとって、将来はミシンで縫製するのではなくて、接着剤などを使ってウェットスーツを作るようになると思うけど、その際に、ジャージを貼ったネオプレンゴムの各パーツをどうやって貼り合わせるか、その合わせ方とかくっつけ方の創意工夫が重要になってくるだろう。

 

 現在、なぜすくい縫いなどのミシンを使っているのかというと、ゴムとジャージの伸びに対応できる接着剤がないため、ミシンで縫い止めて補強をしている。今は科学が進んできて、いろいろなものが接着剤でくっつくようになってきているが、おれたちにとっては、ゴムとジャージの伸びとおなじように伸びる接着剤が開発されることが待たれている。

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箱ミシン(通称)は一本針ミシンを横向きにしたミシンだ。

箱ミシンは形状を見ればよくわかるけど、本縫いのミシンを向こう側にひっくり返しているんだよね。自分のほうに針があって、自分のほうに針が進んでくる。本縫いの1本針のミシンを横向きにして縫えないだろうかって、ミシン屋が考えたんだろうね。理由は簡単で、小さなものを縫う場合、今までの針の向きでは顔を横にしてミシンのテーブルにピタッとくっつけないと見えないので、針を横向きにして針元を見やすくしたわけだ。

 

 縫うと、針が操作する側に向かってくるので、布など縫う部分を確認しやすい。箱ミシンという名前だけど、Googleで検索してもヒットしないので、箱ミシンというのはニックネーム、通称なんだね。ウェットスーツを作りはじめた初期の頃、おれがゲットした箱ミシンは「Treasure」というブランドで、製造したのは奈良ミシン工業。今や業界ではすくい縫いミシンの奈良ミシンとして名高いミシンメーカーらしい。

 

 この「Treasure」の箱ミシンの使い方はYouTubeを見ればよくわかると思うけど、おれがこのミシンを使うようになったのは、グローブの指先などの細かい曲線のゴムを縫うために必要だったからなんだ。普通のすくい縫いミシンでは縫うゴム面を平らにしないと縫えない。そうするとグローブの指と指のあいだとか細かいものが縫えないんだ。

 

 このミシンだと小さくカーブするグローブの指先などを縫うときにも便利なんだ。この箱ミシンの存在は後で知ったんだ。よそで縫えるのに何でうちでは縫えないんだということで、ミシン屋さんに問い合わせて探してもらった。

 ミシンというのは、使う素材や厚みなど多種多様な縫製に合わせて、それぞれ異なるミシンが必要になるので、いろいろな種類のミシンが開発されている。この箱ミシンも曲線の多いものや厚みのあるもの、細かい作業など、縫うところがよく見えるように開発されたミシンなんだ。

 

 また、針が裏に抜けないミシンなんて世の中に存在しないのかと、ミシン屋はアイデアを駆け巡らせたのだろうね。だから箱ミシンはすくい縫いもできる。たとえば、ウェットスーツだったら、3ミリのゴムを二つ折りにして挟んですくい縫いができる。今みたいにすくい縫いで1ミリのウェットスーツを、針の太さぐらいしかない厚さのゴムを縫うというのは、箱ミシンでは無理で、すくい縫い専用のミシンでしか縫えないけどね。

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