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稲村(稲村ヶ崎)サーフポイント消滅の危機
ぼくが生まれたのは、戦後、昭和の鎌倉。海が好きだった父と母が戦争で焼け出された東京を諦めて、戦後、この鎌倉に移住した。物心ついた頃から稲村ヶ崎の海で遊び育って、ウン十年。気がついたら、サーフィンをはじめて、いまに至っている。
最近、とても気になることがある。ぼくも、もうサーフィンができるのもあと5年かそこら…、10年後には、もう稲村の海で遊ぶこともなくなっているかも? だから、いまさら稲村の海の異変についてぼくが言わなくても、若い人たちが考えればいいのかなと思っていた。でも、気が付けば、昔の稲村ヶ崎を知る人間も減り、海の異変に警鐘を鳴らす先人たちもいなくなりつつある。そこで、ぼくがサーフィンを辞めてしまう前にウェットスーツの話ではない、生まれ育った海のことを書き留めておきたいと思う。
ー川南 正
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