文:川南 正
前回、話したように稲村ヶ崎の砂は20年ほど前から目に見えて少なくなってきた。さらに、50年ぐらい前を考えると、南風が吹いた翌日は海岸の砂が134号線の道路に吹き上げられて、車や人の往来に支障をきたすこともあった。
当たり前といえば当たり前、砂浜の上に道路を造ったのだから。
この134号線は、太平洋戦時中に厚木基地と横須賀軍港を結ぶ軍事目的で建設が始まったようで、戦後、ぼくが子どもの頃、めったに車の走らない稲村ヶ崎を米軍の車両が砂埃を上げて走っていたのを覚えている。1955年以降、それまで砂利道だった134号線はコンクリート舗装のきれいな道路へと変身していった。
道路が舗装された以降、南風が吹き付けると舗装道路の上に砂が小山を作っていた。これをかたづけるのが神奈川県の土木科の仕事だ。砂浜の砂は普段道路の高さまであるのだから、稲村ヶ崎の砂浜も防風柵を立てて、砂が道路にたまるのを防ごうとしていた。現在も辻堂や茅ヶ崎の一部には竹の棚がある。
しかし、砂浜の上に造った道路は風が吹くたびに砂に埋もれた。30年以上前かな?県の土木事務所は考えた。海岸にある川のエネルギーを使って海に砂を戻す工事を相模湾の各地で始めたようだ。これがうまくいき、河口の砂を沖に押し流しはじめたわけだ。
そして河口沖や漁港にたまった砂は機械で取り除く。その費用は県ではなく、市や国が業者に頼む仕組みらしい。その計画は良いように見えるが、時が経つと、良かった場所と悪かった場所がはっきりしてきた。
大きな川の河口では良かったようだが、川の右側と左側では結果に違いはあるが、小さな川の河口では砂や土砂の流入が少なく、数百年以上かかってたまった砂が、この砂防方法により一気に沖に流れた感がある。というか、一律の方法では砂の流失は調整できないはずだ。うまくいったところもあるだろうが、状況によりダメなところは考え直さなくてはいけないと思う。その悪い例が稲村ヶ崎だ。
稲村ヶ崎の側溝。かつて、稲村ヶ崎の側溝も材木座や由比ヶ浜の側溝と同じようにしっかり砂が覆いかぶさっていた。この危険な稲村ヶ崎の側溝を壊して撤去すれば、やがて砂が戻ってくるのではないだろうか。地球の治癒力に頼るために、「撤去する」公共工事は環境保全の観点からもよい選択だろう。
材木座の側溝。材木座から由比ヶ浜にかけて、側溝がいくつかあるが、稲村ヶ崎の側溝とは異なり、しっかりと砂に埋まっている。由比ヶ浜と材木座の海岸の砂の量は昔と比べてほとんど減っていないからだろう。
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