top of page
検索

サーフィンと化学製品#14

zerowetsuits

マイク・ドイル

その1


『The Surfer’s Journal』誌ではEOS(Encyclopedia Of Surfing)と同じ「Better Surfing Through Chemistry」というタイトルで、サーフボード専用ワックスなどの化学製品を開発した「サーフ・リサーチ」社についての物語をスティーブ・バリロッティが書いているが、この「サーフ・リサーチ」社を起業したのが、マイク・ドイルである。映画『ギジェット』でスタントダブルを演じ、アメリカ西海岸サーファー、とくにマリブビーチを代表するサーファーのアイコンのひとりとなったマイク・ドイルは、1956年にじっさいに『ギジェット』の主人公のモデルとなったキャッシー・コーナーに最初のサーフボードを売っていたというエピソードがある。

マイク・ドイルは1941年、ロサンジェルスで生まれ、13歳のときにマンハッタンビーチのピアでサーフィンをはじめた。当初、彼はグーフィーフットだったが、1956年からマリブビーチでサーフィンをはじめてからはレギュラーフットとしてサーフィンを学び直したという。ドイルはすでに1950年代後期から、スモールウェーブでもビッグウェーブでも華々しい活躍を見せていた。さらに身長6フィート1インチ(185cm)、体重190ポンド(86kg)と、彼はほかのサーファーよりも体が大きく、運動量も圧倒的に多かった。そしてサーフィンで鍛えられて均整のとれた体躯とブロンドの髮など、サーフスターになる下地がじゅうぶんに揃っていた。事実、1964年、1965年度と、『サーファー』誌の読者による人気投票で1位を獲得している。また、マリブでサーフィンしていたので、ミキ・ドラやマット・キブリンたちスタイルマスターの影響も受けており、ドラマチックなマタドール・スタイルを継承していた。つまり、ビーチファッションのセンスも抜群だったという。

彼はモーブ色(薄紫色)のボードに白い競技用のストライプが入ったボードに乗っていて、私は完全に彼に夢中になった」と、ナット・ヤングは、1964年の世界選手権のシドニーでのドイルの登場についてこう書いている。こうしてドイルは、『ギジェット』での出演以来、社交的な性格を生かして映画のエキストラの仕事で得た信用でMCなどの、今でいうタレント業もこなすようになる。(つづく)





写真は(左)ドン・ハンセン、(右)マイク・ドイル。1968年、ハンセン・サーフボードはマイク・ドイルのシグネチャーモデルをリリースした。


写真:Source: URL Hansen Surfboards

参考文献: 『The Surfer’s Journal』誌、EOS(Encyclopedia Of Surfing)、Hansen Surfboards

閲覧数:57回0件のコメント

最新記事

すべて表示

新年のご挨拶

コメント


ZERO_Logo_Outline_WL.png
ZERO_カナロゴ_W.png

​ゼロ・カンパニー

〒245-0063

神奈川県横浜市戸塚区原宿4-25-7

PHONE: 045 443 6656

FAX: ‭045 443 6651

MAIL: factory@zero-wetsuits.com

  • White Facebook Icon
  • White Twitter Icon
  • White Instagram Icon
CONTACT US

Thanks for submitting!

STAY IN TOUCH

Join our mailing list

Thanks for submitting!

© 2020 by ZERO COMPANY created by Rakuen.tv

bottom of page